高松右門 先生

高松さん居合道8段に 別府の剣道場館長

別府市中須賀本町の剣道場「玄武館」の館長、高松右門さん(75)が日本刀を使う武道、居合道の8段に合格した。25歳で始めて約半世紀。道場で小中学生らの指導に力を注ぎながら、今後も道を極める気持ちは変わらない。

京都市で今月あった審査会では、「抜き打ち」「四方切り」など居合道も加盟する全日本剣道連盟が定める所作の1次審査と、受験者が稽古している流派の2次審査を経て8人が合格した。合格率は5・2%で、高松さんは7回目の挑戦だった。県剣道連盟によると、8段は現在の審査会で取得できる最高位で、県内には高松さんを含めて5人(範士、教士計)いる。
武道を始めた原点は子どものころ、母から武士道の精神と生き方の大切さを毎日教わったこと。中学時代に剣道を始め、居合道は別府信用金庫(現大分みらい信用金庫)勤務時代から。近藤知善8段、糸永騏郎7段(いずれも故人)と東義信8段(大分市、範士)らに師事した。「師の指導と励ましがあったからこそ合格できた。やっと恩返しができた」と感謝する。
道場には小中学生、保護者ら約50人が通い、居合の稽古を受ける子どももいる。門下生は留学生も含め520人を超えた。
「武道は『道極まり無し』。己を捨て、平常心を保つことが大事だが、まだその域には達していない。明るく、たくましい青少年を育てながら、少しずつ勉強していきたい」と話している。
※この記事は、5月31日大分合同新聞朝刊15ページに掲載されています。

古田洋祐 先生

剣道最高位8段に合格 国東市会社役員古田洋祐さん

国東市国東町田深の会社役員古田洋祐さん(55)が、剣道最高段位の8段に合格した。仕事の合間に鍛錬を重ね、合格率1%以下の狭き門を15回目の挑戦で突破した。全日本剣道連盟(東京都)によると、県内の8段は現在12人だけ。今後は後進を導く責任を背負い、自己の鍛錬のため真摯(しんし)に剣の道に向き合う。

5月2日に京都市であった審査会は942人が参加。実技(立ち会い)と形の試験があり、古田さんを含む8人が合格した。「国内で最も難しい試験」とされており、今回の合格率はわずか0・8%だった。
有段者だった父美利さん(故人)の影響を受け、国東中学校(国東町)で竹刀を握った。大学卒業後、家業のガソリンスタンドを継ぐため帰郷。早退して稽古する日も多く「母親や家内には無理を言ってきた。合格は『絶対に通るんだ』という意志と、家族や仲間の応援のおかげ」と言う。
地元の稽古会で鍛える他、豊後大野市三重町の範士8段、後藤清光さん(75)に師事。週1回、1時間の稽古のため往復4時間かけて通った。「7段合格後に10年以上修業し、かつ年齢46歳以上の者」の条件を満たした2006年から8段に挑み続けた。何度もはね返されたが後藤さんの「諦めるな」の声にも励まされてきたという。
昨年9月には冠状動脈のバイパス手術を受けた。「かかりつけ医から『血の巡りがよくなって今回こそ合格するぞ』と言われたら、その通りになった。休養を挟み、あまり気負わずに挑めたのかも」と振り返る。
「下の世代を育てていく立場。最高段位に到達したが、これからが始まりだと思う」。古田さんは表情を引き締めた。
※この記事は、5月16日大分合同新聞朝刊12ページに掲載されています。

華麗に舞う剣士たち
華麗に舞う剣士たち

剣道通じ国際交流 豊後大野市で合宿
  • 2012年12月13日掲載 (大分合同新聞社)

ロシアジュニア代表と県内の剣道団体のメンバー=豊後大野市の三重総合高道場

剣道のロシアジュニア代表メンバーが豊後大野市で強化合宿に臨んでいる。全日本剣道連盟国際委員の林達雄さん(64)=同市・8段=が「日本の剣道を伝えるとともに、国際交流の輪が広がれば」と招いた。同代表は13日まで、地元高校生らと練習を続ける。

林さんと交流があるロシア剣道連盟のブラディスラフ・トルキシェビスキーさん(40)がジュニア強化委員長に就任したことがきっかけ。「選手強化の役に立てれば」と林さんが打診し、豊後大野合宿が実現した。
来年のヨーロッパ選手権(4月・フランス)での優勝を目指すキリル・クレムチーフさん(17)=2段=ら5人が来県し、10日から三重総合高校などで稽古に励んでいる。
11日は県剣道連盟や同校剣道部など4団体から約40人が練習に参加。足さばきなどの基礎から、試合形式まで、約2時間の練習に打ち込んだ。
「日本の練習は基礎を重視する点がとてもよかった。技の速さが上がりそう」とクレムチーフさん。大島啓輔君(14)=大野中3年=は「自分たちと同じくらい強いと思った。また一緒に練習したい」と話した。
トルキシェビスキー委員長は「大分で学んだ全てを持ち帰り、剣道の上達と、競技普及の支えにしたい」と話し、林さんは「ロシアという広大な国に正しい剣道が広がることで、世界に普及するきっかけになってくれたらうれしい」と笑顔を浮かべた。

インターハイ剣道男子 日田が全国制覇

  • 2008年8月05日掲載 (大分合同新聞社)

インターハイ剣道男子団体で優勝し、喜びの表情を見せる日田高の選手たち=4日、越谷市立総合体育館

2年連続6回目の出場で初めての栄冠を手にした日田。過去最高のベスト8の壁を乗り越え、県勢男子としては1960年の国東安岐以来、48年ぶりの頂点に立った。岩本貴光監督は最高の笑顔で涙ぐんだ選手の肩をたたき、喜びを分かち合った。
予選リーグでPL学園(大阪)に競り勝ち、勢いに乗った。決勝トーナメントに入ってからは4試合とも大将戦を前に決着。決勝も冷静だった。主将の中堅津島大晟(だいせい)(3年)が延長戦を制し、流れを引き寄せると、副将菅田有記(同)も続いた。高校(PL学園)時代、インターハイで優勝した岩本監督も副将を務め、副将戦で優勝を決めた話を聞いていた。「自分までに決めると信念を持って臨んだ」と菅田。開始早々に奪った小手を守り抜いた。
津島主将は「これまでの日田高の中でも弱いチームと言われてきた。その分、2倍、3倍以上の努力をしてきた」と胸を張る。練習後、日田市内の大原八幡宮にある116段の階段を多いときは10往復した。今春の全国選抜大会は県予選で2位に終わり、出場を逃した。だが下は向かず、さらに厳しい練習を重ねた。
努力に裏付けされた強い気持ちが最高の結果を生んだ。岩本監督は「地道に前向きに取り組んできた成果が実を結んだ」と努力を惜しまなかった選手の健闘をたたえた。








2008年10月05日掲載 (大分合同新聞社)


【剣道少年男子決勝】メンで2本勝ちした中雅宏(右)=豊後大野市大原総合体育館

少年男子 インターハイの再現 (2008年大分国体)
苦しい試合をはい上がり、最後は光り輝いた。指導陣からねぎらいの言葉を掛けられた剣道少年男子の選手は静かに涙した。三浦悟少年監督(52)=大分高教=は選手の気持ちを代弁した。「選手が一番プレッシャーを感じていたはず」
メンバー5人中4人が日田高。インターハイで優勝した殊勲は自信でもあり、重圧でもあった。少年男子の指導をしてきた岩本貴光日田高剣道部監督(37)は「精神的に追い詰められていたが、気持ちを切らさず一生懸命やってくれた」という。
決勝はインターハイの再現。対戦相手は水戸葵陵高中心の茨城。2―0で迎えた主将の津島大晟(日田高3年)は闘志を燃やした。「プレッシャーに負けないくらいの練習をしてきた。インターハイの優勝が本物だと証明したかった」。1本先取されたが、鮮やかな連続技でタイに。2本目も絶好のタイミングを逃さず、メンの連取で優勝を決めた。
選手は5人だが、候補選手11人で最後まで切磋琢磨(せっさたくま)してきた。次鋒(じほう)の中雅宏(上野丘高3年)は「最後まで練習に付き合ってくれた仲間がいたから優勝できた」と感謝した。
少年男女、成年女子とも優勝したため、成年男子の成績にかかわらず、競技別総合優勝が確定した。


鍛錬の日々が自信に 少年女子

「やっと終わったな」。剣道少年女子監督の阿部昭一(53)=鶴崎高教=は涙声で選手たちの肩を強く抱いた。
日田、中津北、鶴崎、大分の4校選抜チーム。各校の実力者が集まっていた。「選抜だからこそ全員でまとまろうという意識と、勝ちたいという気持ちが強かった」と大将の大段真由(大分高3年)。豊富な練習量を通じ自然と生まれた結束力が強力な武器となった。
決勝で対戦した福岡には、7月まで練習試合で惨敗を喫していた。だが8月終わりには負けなくなっていた。全4試合を全勝した先鋒(せんぽう)の庭野奈緒美(日田高3年)は「どこまでやれるか不安だったが、どこよりも練習してきた自信はあった」。自信は確信となった。
決勝で勝負を決めた中堅の井上萌(中津北高)は唯一の2年生。決勝前、中津緑ケ丘中時代の先輩で副将の近藤志織(鶴崎高3年)は後輩の腕をマッサージし、こう言った。「力を抜いていこう」。井上は先輩の心遣いに応え、コテで2本勝ち。「思い切りやるだけだった」
ジュニア時代から候補選手を強化して8年。次鋒の厨美咲希(日田高3年)は「小学校のころからずっと練習をしてきた仲間。このチームで優勝できてうれしい」と涙でぬれた目を輝かせた。

優勝した少年男子・女子の熱気が漂う会場に登場した成年女子3選手。剣道三つ目の頂点へ期待が高まる中で、見事に優勝を果たした。
準決勝の大阪、決勝の埼玉はいずれも全日本クラスの選手を擁する強豪。監督兼選手西佳子(41)=県農協つくみ支店=は「少年勢には負けられない。2位、3位では帰れないと思っていた」と振り返る。
対大阪戦。先鋒(せんぽう)植山智恵美(23)=県警職員、中堅岩本泉(37)=日田養護教=は共に1本先取される苦しい流れになったが、いずれも延長の末に相手を下した。「取られたら取り返すしかない。悔いが残らないようにしたかった」と植山。
3―0で勝った決勝も、先鋒、中堅戦が延長になる緊迫した展開。特に埼玉の中堅村山千夏は、全日本女子選手権連覇の実績を持つ実力者。
岩本はリーチの長い村山のメン打ちを読み、メンをかわしてコテを決めた。「相手は大学時代の後輩。苦しい場面はあったが、多くの応援に支えられた」と笑顔。
「緊張で左足に力が入らなかった」という大将西が勝って試合を締めくくった。「地元で優勝したかった。苦しい練習をしてきてよかった。涙、涙です」

【剣道】競技別総合V 勝因は“チームワーク”(2008年大分国体)

2008年10月07日掲載 (大分合同新聞社)

競技別総合優勝を果たした剣道大分県チーム=豊後大野市大原総合体育館

剣道の閉会式。客席には「大分県チーム総合優勝おめでとう」の横幕が踊った。この日、成年男子は3位だったが、少年男女と成年女子の3種別で優勝。1巡目大分国体以来の競技別総合優勝で42年ぶりにブロンズ像を手にした。
選手、スタッフは「チームワークが勝因」と口をそろえる。少年も成年も一つのチームとして一致団結し、練習に取り組んできた。3年前から毎週土曜日に開いてきた成年の強化練習会。女子は主婦業と両立しながら男子と同じ厳しい練習に耐えてきた。川野征夫県剣道連盟理事長(64)=贈り物のかわの=は「自信を持って強化し、一体となれた」と話す。
家族3人で国体出場を目指してきた成年男子の笠谷浩一(48)=県警=は代表になれなかった娘と妻のことを思い戦った。「一緒に笑ったり泣いたり汗をかいたり、剣道を通じてかけがえのないものを得た」と感極まった。

全国中学大会 杵築が初優勝、剣道男子

2011年08月26日掲載 (大分合同新聞社)

男子団体戦で優勝した杵築=兵庫県加古川市立総合体育館

全国中学校体育大会は25日、兵庫県の加古川市立総合体育館などであった。
県勢は剣道と柔道に出場。剣道は男子団体で杵築、同個人で中根悠也(杵築)がそれぞれ優勝した。同大会は全ての日程を終えた。

▼「自信」が力に
杵築と香芝(奈良)の決勝は、先鋒(せんぽう)から大将まで5人が戦い終えて2―2で、決着がつかず、一本勝負の代表戦となった。杵築の大将・中根悠也主将(3年)が面を奪って初優勝を決めると、選手は高倉聖史監督と抱き合って号泣した。
この日の3試合は、全て代表戦にもつれ込む接戦だった。準々決勝では泗水(熊本)と対戦し、攻めあぐねて0―0。代表の中根悠が1本を奪って乗り切った。準決勝も2―2の後、代表戦で中根悠が勝利を決めた。
副将の森銀平(2年)は「中根悠主将につなごうと、ただそれだけ考えていた」と振り返る。
接戦を制した勝因として選手が挙げたのが「日本一厳しい練習に耐えた自信」。高倉監督は選手に竹刀2本を一緒に握って立ち合わせるなど、ハードな練習を多数導入し、体力と精神面の強化を図った。「脱落する部員は一人もいなかった。心身の強さが代表戦を3回も制して優勝する原動力となった」と高倉監督。
この日、団体の前にあった個人で中根悠主将が優勝したこともチームの快進撃を後押しした。他の選手は団体戦を前に、離れた場所で控えていて応援はできなかったが、吉報を受けて大喜び。「団体も優勝するぞ」と声が上がった。河内隼斗副主将(3年)は「あれで勇気が湧いた」と振り返った。

▼中根悠(杵築)個人制す
杵築の主将・中根悠也(3年)は大舞台で精神面をしっかりコントロールし、目標だった個人での全国制覇を果たした。
「ヤマ場だった」と中根悠が振り返ったのは3回戦(24日)。大津(兵庫)の選手に仕掛ける呼吸がつかめず、「少し慌てた」(中根悠)。その時に思い出したのが、いつも高倉監督に言われている「落ち着いてやれ」という言葉だった。呼吸を整え、相手が面を打ち込んでくるタイミングをとらえて小手を決め、勝利した。
25日は「攻め過ぎず守りに入らないよう」心掛け、冷静な試合運びで頂点へと駆け上がった。
競技を始めたのは幼稚園の年長から。チーム一の練習量を誇る努力家だが、大きな大会での実績はなかった。「きょうは最後まで冷静さを保てた。優勝はうれしいが、びっくりしている。実感が湧かない」と笑った。
高倉監督は「耐えることを覚え、今大会は安心して見ていられた」と教え子の成長ぶりに目を細めた。

森田が頂点 剣道女子個人 インターハイ

2012年08月10日掲載 (大分合同新聞社)

剣道女子個人で優勝した森田れい子=新潟市東総合スポーツセンター

全国高校総体(インターハイ)第13日は9日、新潟市などで行われ、県勢は3競技に出場した。
剣道の女子個人で森田れい子(大分)が優勝。同団体で大分、同男子個人の園山和槻(杵築)がそれぞれ5位になった。

隙見逃さず、会心の小手
剣道の女子個人決勝。延長戦に入って10分が経過した直後、森田れい子(大分3年)は相手の一瞬の隙を見逃さず、小手を奪って決着をつけた。県勢女子の個人優勝は2007年の三笘冴(日田)以来、5年ぶり6人目の快挙。
準々決勝以降は全て延長戦となったが、冷静だった。「個人戦は何分かかってもいい。焦らずチャンスをものにしよう」。決勝でも集中力を保ち、積極的に攻撃を仕掛けることで相手の攻撃を防いだ。そして、「勝手に体が動いた」という会心の一撃で全国の頂点に立った。
155センチと小柄だが、動きの軽快さ、技の切れ味は抜群。延長戦が続く中、攻め続けた戦いぶりに竹中昭憲監督は「よく辛抱し、よく勝った」とかみしめるように話した。一丸正史総監督は「勝つべくして勝った」と手放しで評価した。
「日本一」を意識したのは滝尾中時代。出場した全国大会でライバルが準優勝したのを見て思った。「自分もできるかも」。目標を達成しようと進んだ高校では、「やめろと言わなければ、いつまでも練習を続ける」(竹中監督)ほどのひた向きさで努力を重ねた。
準決勝の前に行われた団体の準々決勝は自身が出た代表戦で敗れ、チームは敗退した。ショックだったが、「チームのみんなのためにできることは(個人戦での)優勝しかない」と気持ちを切り替えて戦った。
高校での3年間、九州大会でも優勝できず「悔しい思いをしてきた」が、最後の夏に夢だったタイトルを手にした。表彰式で首にメダルを掛けられ、最高の笑顔を浮かべた。

大分5位「あと一歩」 女子団体
「勝負には負けたけど、いい試合だった。攻め負けてなかったぞ」。剣道団体女子で4強入りを果たせず、泣きじゃくる大分の選手に竹中昭憲監督は優しく声を掛けた。
準々決勝の相手は阿蘇中央(熊本)。これまで練習試合を含めて20回近く対戦しているが「四対六で分が悪かった」(竹中監督)。先鋒(せんぽう)をはじめ、全員が気迫を前面に出して互角の勝負を展開したが、代表戦で敗れた。
主将の森田れい子(3年)を除けば、「中学時代は何の実績もない」(竹中監督)部員たちが地道な努力で全国大会を目指してきた。春の全国選抜大会県予選で出場権を逃し、5月から毎週合宿を実施。夏に向けて体力や技術、そして結束力を高めてきた。
「一人一人の力はないが、みんながチームのためを考えて戦ってきたので、ここまでくることができた」と横川みのり(3年)。岩崎唯歩(同)は「全員でカバーし合いながら戦えた。このチームでやれて最高」と赤い目で笑顔を浮かべた。